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私教連資料室

教員評価・考課査定・能力給・不適格教員と私学教育(02/06/01)


討議資料

教員評価・考課査定・能力給・不適格教員と私学教育
父母との共同、子どもの参加で『国民のための学校づくり』を実践する中

全国私教連中央執行委員会


はじめに

私たちは1990年代初頭から企業で顕在化してきた能力給・成績給の動きが、私学にも持ち込まれ始めた1996年に討議資料「私学経営者による考課査定(勤評)・能力給導入を許さない闘いを!」を発表し、学校教育の中への考課査定・能力給の導入を許さない闘いを呼びかけてきました。

1996年秋、埼玉・秋草学園で考課査定が提案され、少数組合でしたが、ただちに連日の情宣で問題点を訴え、ほぼ全員の教職員が参加した学習会や反対署名を集めて、理事会にぶつけ、考課査定を撤回させました。その最大の力は同じ埼玉のH高で1970年代から実施されていた考課査定の実態を学んだことでした。H高の査定制度によって組合員の主任昇格が阻害され、埼玉地方労働委員会はこれを組合差別と認定しました。しかし、その中で、単に組合員が差別されるだけではなく、教職員同士がバラバラになり、そのことが子どもたちの中にまで広がっていくことが明らかになりました。これが組合に入っていなかった秋草学園の教職員までが、理事会の査定案に同意しなかった大きな原因でした。

1997年2月、学校法人日本体育会が併設する4高校でも学園本部から「人事考課査定実施内規(案)」が示され、千葉・柏日体、東京・荏原、東京・桜華の3教職組連名の声明を送付したり、柏日体では校長に撤回を具申するよう申し入れる中で、本部は考課査定は高校になじまないと導入を断念しました。

大分・文理大付属高校においても1999年に提案されましたが、それに反発した若い人を中心に組合加入が増え、その力を背景にして団交し、「事務職に導入、教員には適用しない」となりました。

岐阜・高山西高校では数年前に組合を結成しましたが、その後休眠状態になっていました。2001年9月に「考課査定、能力給、年俸制の導入」が提案され、組合を再結成し岐阜私教連に加盟し、岐阜私教連の援助を得た団交で撤回させました。

福岡・福岡南女子では、考課査定が提案されましたが、緊急重要問題と認識した私教連と単組は、団交要求、抗議文、質問書を提出し、抗議Faxなどの統一闘争を準備する中で、導入を撤回させました。

また1996年の討議資料で紹介された宮崎・延岡学園については、考課査定による賃金差別が不当労働行為だとして、宮崎地労委・中央労働委員会から救済命令が出されました。学園側はこの命令に従わず、現在東京地裁で行訴審が進行中であり、中労委は緊急命令についても地裁に申請しています。また香川・藤井高校では学園民主化闘争が新たな段階に入っており、県の指導による理事長権限の縮小、常任理事の就任などによって、民主化が大きく前進しました。その常任理事により「考課査定は教育現場にはなじまないもの」として、新給与体系の策定による是正へと踏み出しています。

しかし、以下に述べるように東京都で「教員の人事考課制度」が2000年から導入され、大阪府、埼玉県、神奈川県、千葉県などでも勤務評定の見直しが「東京を参考に」進められ、勤勉手当の「成績率」における賃金格差強化の動きとあいまって、そのモノサシとなる勤務評定の見直しが公立学校における全国的な課題になろうとしています。すでに高知では勤務評定が一時金について実施されており、一時金がカットされた人と逆に増えた人がいます。

1999年に私立学校振興・共済事業団がまとめた「私立高等学校の現況と将来計画に関するアンケート」報告の中で、「能力給制度(業績評価等の結果を給与に反映する制度)の導入及び検討」では、「教員」で「導入」しているのは35校(3.1%)で、「検討」が289校(25.1%)でした。「職員」の「導入」は4.3%、「検討」は5.6%となっていました。

こうした公立学校の動き、私学経営者の意向にともない最近、考課査定を導入しようとする傾向が強まっています。とりわけ元公立高校長や民間人校長による労働協約の破棄、管理強化などが強められており、その一環として「考課査定」が導入されようとしているのも一つの特徴になっています



T.東京都における「自己申告制度」

都教委が導入した「教員の人事考課制度」は1.自己申告2.業績評価3.賃金・人事、研修への活用という三つの柱から成り立っています

1.不当な支配を招く「自己申告制度」

自己申告(資料参照)は、校長が示す「学校経営方針」を踏まえて各教員が「目標」を設定し、どこまで達成できたか「自己申告」するものです。申告の際には校長・教頭が面接し、「目標の方向性や水準」について、「学校経営方針と整合性がとれたものとするように指導助言する」「面接前にはできるだけ鉛筆書きで提出」などと指導しています。
都教委は学校経営方針の具体例として「学区域の規制緩和に備え、魅力ある学校にしていく」「国旗・国歌の掲揚及び斉唱」などをあげており、これに追随した校長の「学校経営方針」が押しつけられ、教員の自己申告が、学校経営方針と異なると校長が一方的に断定した教員は自己申告の修正、書き直しが命じられます。これでは教師の専門性と自主的権限が侵害されるのではないでしょうか。

また「出さない場合は不利益があってもやむを得ない」として、申告書には「校務分掌経験及び希望」について「一任する、現分掌を希望、他の分掌を希望する」のどれかを選択する欄や、「異動希望先」、「健康状況(極めて健康である、普通に職務できる、病弱である)」などの欄もあります。また「研究・研修」の欄があり、それとは別に「研修歴、研究歴」を記載する欄もあります。まさに自己申告書によって、管理を一元化しようという狙いがはっきりしています。

2.「業績評価」は全教員を序列化する五段階相対評価

業績評価は、学習指導、生活指導、進路指導等の各評価項目毎に、能力、情意、実績の三要素を五段階で、校長が評価します。しかも、教育委員会毎(全都立高校、市区町村別に小学校全体、中学校全体)に全教師を相対評価し、序列をつけ、昇給や昇任等の処遇に活用します。校長が全教員を評価するために、教頭をも評価者に加えたり、主任からも参考意見を求めることもできます。教員を常時監視し、伸び伸びした教育活動を妨げるものになるのではないでしょうか。

3.「評価結果」を賃金だけでなく人事にも全面活用

「評価結果」は積極的に活用するとして、「給与、昇任その他の人事管理に適切に反映させる」と規則で明記しています。東京都では、すでに特別昇給が勤務評定により差別的に運用されており、これを機に、さらに管理職で実施されている勤勉手当(注)の「成績率」を一般教職員にも導入しようとしています。

  注)公務員の一時金は、「期末手当」と「勤勉手当」に分けられており、「勤勉手当」は6月・12月とも0.6ヶ月に決められ、年合計120/100ヶ月でした。1997年度の人事院勧告・報告で「個人の能力と実績に応じた適正な給与配分の観点から、勤勉手当のより一層の活用を図る必要がある」として「勤勉手当の成績率の幅を拡大する」、成績率を30/100〜80以上/100にすることを勧告していました。

こうした都教委の「人事考課制度」について、浦野東洋一東大教授がアンケート調査(約2100名)を行いました。「教員の意欲が高まっている」かどうかを尋ねた設問に対し、教員では「そうは思わない」「あまりそうは思わない」という否定派が74.8%と3/4を占めました。校長でも「意欲が高まっている」ことへの肯定派(「ややそう思う」「そう思う」の合計)は32.2%にとどまっており、「どちらとも言えない」42.2%、「そうは思わない」「あまりそうは思わない」が24.5%でした。また「業績評価は不必要である」との設問に「そうは思わない」「あまりそうは思わない」と答えたのは、校長で78.0%であり、教員でも30.9%ありました。教員を年代別に見ると、20歳代で40.7%、30歳代39.5%、40歳代35.9%、50歳代17.1%と若い人ほど業績評価を肯定的に捉えていることも明らかになっています。浦野氏は「アンケート結果から判断すれば、制度の目的は達成されていない。教員の評価は必要だが、都の制度は本人に開示していないなどの問題がある」と分析しています。

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U.査定には透明性、公平性、納得性が必要

東京都地方労働委員会に、日本学園の人事考課制度が不当労働行為として組合が提訴して斡旋が行われていますが、その斡旋の中で、公益委員が「労使の合意がないまま、査定を強行したことは問題である。人事考課は組合の理解を得て進めるべきものだ。一般的に言えば、査定基準の内容、本人への査定内容の通知、各人の目標の明示が必要である。納得ある話し合いが行われた上で、実施すべきものだと考える。何よりも人事考課は、透明性、公平性、納得性が基本である。」との見解を表明しています。

また総務庁の人事評価研究会は「人事評価システムとしての要件」として「@公平性、A客観性、B納得性・透明性」の三要件を掲げています


V.真の学校・教職員集団・教職員評価は、学校改革、授業改革に直結する

本来教育に関わる「評価」というものは、「学校評価」、「校長評価」、「教職員集団としての評価」、そして「教職員個人に関わる評価」など様々あります。そのどれも教育活動の前進のために行うものでなくてはなりません。ましてやそれが給与と関わることがあってはなりません。

前出の浦野東洋一氏は、教員評価制度の原理として、次の4点を掲げている。第1に「教員評価の主体には、まず子どもと保護者が含まれる」、第2に「教員評価の目的は、教員の力量向上・職能成長におかれなければならない」、第3に「教員評価は、ほめる(ほめられる)、癒す(癒される)、教える(教えられる)という教員同士の人間関係、同僚関係を助長するものでなければならない」、第4に「教員評価は学校改善と結びつけられなければならない」としています。
そして浦野氏が提起する「教職員評価制度のデザイン」は、1人の教員に対する評価は、複数の教員による評価チームで、複数回の視察・協議を経て、被評価者と1年〜1年半の話し合いにより行い、「教員の職能成長と、学校改善についてのコメント(勧告)が記載されなければならない」というものです。教職員の職能向上には、考課査定のような単純に数量化した「評価」は役にたたないのです。


W.考課査定は何を狙い、何を学校にもたらすか?

1.荒廃する学校教育

先に紹介した埼玉・H高の場合、校長は評価の目的を「1.教師が意欲を盛り上げ、能力を発揮させることにより教育の成果を上げる。2.それぞれの分掌が適切かどうか見極める。3.賞与査定を公平にする。」ためと述べ、査定は主任・副主任による評価(採点)→教頭・部長・主任の評価会議による評価→理事長による査定、という手順で行われました。組合員が、学年主任に評価の基準をただしたところ、学習指導ではクラスの平均点、生徒指導では父兄会の出席率、進路指導では進学・就職率、勤務態度は職員会議事の発言の内容によって査定していると答えています。組合員は「現実には評価を主任が客観的に説明することもできず、したがって悪い評価項目を改善するための具体的提案もされず、悪い評価を受けた教員が『頑張ろう!』という気持ちになることはなく、結果として教員を育てることにつながらない」と述べています。

また別の学校では、考課査定の「客観性」を持たせようと、査定項目の中に、「生徒の出席率」、「小テストの成績(クラス平均)」、「清掃」などが盛り込まれていました。A校では生徒の出席率を向上させようとするあまり、39度の熱を出した生徒を朝礼に出席したことにするために連日タクシーで登校させ、結局肺炎を起こさせてしまったという例もありました。また生徒の共同責任を追及するために、原因となった生徒に他の生徒が金を出させるなどの事件もあり、教師が「お前たちのために俺の給与が上がらない」と生徒を糾弾する場面もありました。またB校では、査定の結果職員室の椅子が「肘付き・背もたれ付き」「背もたれ付き」「丸椅子」で違っていて、生徒までが先生を区別している事例がありました。

このように毎日の仕事が査定の対象になり、管理職の意向に気を配り、生徒の動向はおろそかになってきます。そして自分の弱音を吐いたり、困難を相談することはマイナスの査定になります。教員同士がバラバラにされ、そのバラバラな教員組織では、生徒の楽しい学校生活は作れません。ものの言えない職場になってしまいます。それどころか、評価者(校長もしくは数名の教頭など)の意向が絶対的なものになり、評価者への批判は当然封殺されます。教育が破壊されているといわざるを得ません。

2.新自由主義の教育観による教師ふるい分けの考課査

いま教育「改革」が大きく叫ばれています。私立学校でも、生徒減とかかわって、新自由主義的な「一校生き残り」が強められようとしています。

新自由主義の教育観では、教育を「サービス」と捉え、優秀な少数の人員のみで学校を運営しようとしています。日本私学教育研究所の小池研究部長は1999年7月の講演の中で次のように指摘しています。「子どもたちの学習を誘い『ああ、調べてみたいな』というような気持ちを引き起こすことに長けた能力を持っているのがこれからの教師である。それが教育の専門家です。ですから、必要あればコンピュータも使うし、外部の専門家の知見なども使えばよいわけです。(中略)これからの私学経営というのは、そういうことも考えれば、専任率をどんどん落としていって必要に応じて人材派遣で契約教師を使う、というようなやり方で対応していこうということにもなります」。こうした「優秀な少数の教職員だけ」の学校をつくり、「教育はサービス」として、「人材育成」を目的とすることは、教育基本法に定める「人格の完成」をめざす、教育の理念とはほど遠いものです。教職員に「考課査定・能力給」を導入することは、「優秀教員の選抜」をめざしたものです。

3.人件費抑制・人件費総額削減のための考課査定

新潟・帝京長岡の場合、マイナス査定になった人のカットした分をプラス査定された人で分けるシステムです。評価が良かったから賃金が上がるというものではありません。一部の人には一時期そういうことが起こるかもしれませんが、長期的に見ると「物言わぬ教職員」を作り出すわけですから、「賃金が低い」「賃金を上げろ」などと言わせない状況になれば、教職員の賃金は低く抑えられることになります。

4.組合弾圧の道具としての考課査定

宮崎・延岡学園、東京・松蔭、東京・鶴川などでは、考課査定が組合を弾圧する道具として使われています。宮崎・延岡の査定項目の中には、「職場内の和を乱さず協調的に努めているか。学校への建設的な貢献が見られるか」「学校方針との適合性」などがあります。東京・鶴川では「貢献についての着眼点」として「上司の意見に従うか。上司の指導をただちに受け入れるか。上司の意見に逆らうか。上司の指導を無視するか。上司の悪口を言ってはいないか。」が査定項目のトップにあります。

そして宮崎・延岡学園の場合は、組合を脱退すると査定ポイントが急上昇します。これにたいし宮崎県地方労働委員会と中央労働委員会は不当労働行為と認定し、賃金差額の支払いと謝罪することを命令しました。


X.考課査定を許さない職場づくりと教育づくりを!

教育は子どもたちと教職員との人間的な信頼関係の上に成り立つものであり、表面的な現象や数値だけでははかれないきわめて人間的な営みです。また教育は教職員の共同の営みの結果として成立します。そこには若い人だけでなく老若男女がそろっており、「無口な先生もいれば、ちょっとずっこけた先生もいる。いろんな先生がいる」(山田洋次・三上満『めんどうくさいもの人間・映画、教育そして愛』)からこそ、多様な生徒に対して多彩な教職員のアンサンブルによって教育が成り立っているのです。子どもたちの琴線に触れるような、教職員の人間性など形に現われないものが非常に大切な側面としてあり、学校の活気、というのは教職員と子どもたちとの触れあい、信頼関係の成立のなかから生まれるものです。

日常的な教育活動をすべて把握することができませんから、教育現場では本来合理的な査定はできません。また教育は1年間ないしは3年間のスパンの中で行われます。その一部分だけをとって評価したり、短期的な目標を設定してその達成を評価するというものではありません。短期的成果が求められるならば、生徒は教員や学校のための道具にされ、勝利至上主義や進学至上主義が生徒の発達を無視して優先されることになります。

しかし一部の学園には、若い人を中心に「一生懸命やっているのに評価されない」「補習・部活・生徒指導と毎日仕事に追われているが、給与は低い。中高年は補習も部活もせずに高い金を取っている。不公平だ」という不満があります。中高年の中には「そんな仕事は俺たちも若い時にやってきた。若い人がやるのは当然」という意見もあります。本当にそれでいいのでしょうか。エネルギーあふれる若い先生、様々に「技」を持つベテランの先生、それが相互に刺激しあって教職員としての職能向上が図られます。そんな学校づくりを私たちはめざしてきました。しかし、多忙化の進むいま、職場の中でそうした関係づくりが損なわれ、とげとげしくなってしまってはいないでしょうか。

教職員自らがその職能を学びあう集団となる時、生徒も楽しく学びあう学校に変わっていく、それが私たち組合に結集して作り上げてきた教育実践の教訓です。

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Y.「不適格教員排除」の問題

こうした「考課査定・能力給」導入の問題と同時に、最近では「教師不適格」問題が起きています。2001年に「教育改革法案」として成立させられた中に、「指導力不足教員排除」がありました。現在各都道府県で、この制度の発足に向けて「指導力不足教員の判定基準」や「判定方法」、「指導力不足教員の研修システム」などが検討されています。

中には「疾病等により指導力が発揮できない教員」を含めて「指導が不適切である教員等」と規定する県(福島)があったり、東京都では指導力不足とされ研修を受けてきた26人の教員のうち5人が退職、3人が休職となり、残りの18人のうち現職復帰は1人だけで他は「研修継続」になりました。また都教育庁は、1年間の試用期間を終えた新規採用教員のうち5人を「適性がない」として不採用にしました。京都でも市教委は指導力不足の教員36人に対し退職勧奨を行ったことを明らかにしています。こうした事態の中で宮城では「研修命令は不当」として、一人は命令取り消しを求める裁判を起こしており、一人は県人事委員会に不服申し立てを行い、却下された場合は損害賠償を求める訴えを起こす予定だという話もあります。

その一方で、埼玉県では「恣意的に指導力不足教員の特定を図ることなく適正な運用に努めることが肝要」と明記しています。北海道では「担当すべき授業を他の教員が分担して行うなどの状況」(「通常の1/3以下に軽減している」)が「相当期間継続し」(「おおむね1年以上継続していること」)「その内容が顕著な者」を認定して行うとされています。また北海道では「いわゆる学級崩壊のような事例とは区別して考える必要がある」ことを認めており、「本人の意向も聴取して行うとともに、本人の意見書を出させ、審査会の資料とするなど適正な手続きの確保に努める」ことを表明しています。


Z.判例に見る教師「不適格」の判断基準

1973年9月に最高裁第二小法廷は、長束小学校事件(校長として不適格)の判決を下しました。判決では「これを同法地方公務員法28条1項3号所定の処分事由についてみるに、同号にいう『その職に必要な適格性を欠く場合』とは、当該職員の簡単に矯正することのできない持続性を有する資質、能力、性格等に起因してその職務の円滑な遂行に支障があり、または支障を生ずる高度の蓋然性が認められた場合」としています。ここで問題なのは、「簡単に矯正することのできない持続性を有する資質、能力、性格等」ということですから、いろんな環境整備をすれば治るんではないかということであれば、「不適格」であるとはいえないということです。矯正できない持続性を有する資質、能力、性格、本人に固有の問題、そういうものがあるかどうかということを問題にしています。

これとほぼ同じなのが1993年6月に、東京松蔭学園の解雇事件に対しての東京地裁判決です。「原告の就業規則に定める『職務の適格性を欠くとき』とは、それが教職員の解雇事由であることに照らすと簡単に矯正することのできない持続性を有する資質、能力、性格等に起因してその職務の遂行に障害があり、または障害が生ずるおそれの大きい場合をいうものと解することが相当である」と判断しています。


[.「指導力不足教員」問題に対する視点と課題

学校は様々な教員によるアンサンブルとして成り立っており、その様々な違いが学校の活力を生み出しているのです。授業や生徒との関係で悩んでいる教師がいたとしても、教職員集団の中での支え合いや、相互批判・相互援助の中で解決されるべきです。しかし、職業への適・不適は人間の個性としてあり得ます。その場合でも、十二分な共感と理解を作り出す中で、主として一対一の関係の中で、さりげなくしかし友情をもって不適だと指摘することもあり得ます。その場合にしても温かい人間関係が築かれていなければなりません。それに反し、「教育改革」の中での「不適格教員」「指導力不足」問題は、新自由主義教育による「優秀な教員確保」を優先課題にしていますので、冷たく「指導力不足」だと指摘し排除することになります。まさにその非人間性・非教育性が問題なのです。

しかも、私学の場合は、経営者が意図的に「指導不足教員」を認定し、組合弾圧の一環にする危険性もあります。また、そこまでにいたらない場合でも、指導に悩む教員や、生徒・父母との対応が上手にできない教員など職場の弱点(弱い環)への退職強要・解雇攻撃が、人件費削減のための攻撃であったり、管理統制、教員間の競争の強化を目的とした場合もあります。

全日本教職員組合は、2000年9月の「不適格教員」問題に対する見解の中で次のように指摘しています(要旨)。第1に「教育の条理にたった、教員にあたたかい対策を」当局がとるべきこと、第2に「使用者責任を明確にする」こと、第3に引きこもりや教壇に立てなくなった場合は、「本人の立場に立ち、職場復帰を目的とした適切な研修や休業・療養の機会を保障する」こと、第4に「不適格」とは何か、「明確な定義と厳格な判定の手続きを確立する」こと、第5に問題を「個人の問題にとどめず、勤務(=教育)条件の契機とする」こと、第6に「全教職員が一致できる職場づくりをめざ」すとしています。

私学は転勤のない職場であり、時とすると人間関係が固定化してなかなか改善できない状況に陥ることもあります。しかしこれまでの私教連運動の中で、「総対話・総評価運動」や「学校分析」、「やまびこアンケート」などによって教職員を変え、学校を変えてきた実践もあります。

教育改革、授業改革でも様々な課題があり、教職員組合が主導で切り開いてきた実践もあります。教職員組合としても指導に悩む教員や、生徒・父母との対応が上手にできない教員などにたいしてどう援助すべきか問われるところであります。教科のありよう、学年のありよう、職員会議のありようなど見直しを進めるとともに、学校改革・教育改革を「子どもが主人公」の視点からどう進めるのか取り組みを強めなければなりません。今全私研(2002年)では「授業困難、不成立克服」特別分科会を設置し、こうした問題を含めて実態を明らかにすると同時に克服の方向を探りたいと考えています。


\.考課査定・能力給、不適格教員排除を許さない闘いを!

生徒が変わり、社会が大きく変わっている中で、もう一度「教育とは何か」を考え、教育が集団の営みであることを大切にして、学校改革をどう進めるか、その中での役割分担を明らかにし、教育のあり方を改革する必要があります。また、教育改革の中で、父母との共同を追求し、父母に率直に問題を投げかけ、どういう学校を作り上げるべきかを教育懇談会の中で語り合います。また生徒の自主活動を援助し、子どもたちの自治能力を高めるとともに、学校・父母・生徒の三者協議会の実践に学びながら、学校改革を進めます。

今こそ組合が職場のすべての教職員をつなぎ、互いの日々の実践を学びあいながら、子どもたちが来て良かったといえる学校と教育をつくりあげましょう。学校と教育を破壊する考課査定・不適格教員排除の動きを押し返しましょう

  1. 考課査定・不適格教員排除の実態と真の狙いを職場のなかでしっかりと学習しましょう。

  2. どんな小さな査定についてもそれを許さない闘いを重視しましょう。地方労働委員会への斡旋や不当労働行為での提訴なども含め闘いをすすめます。

  3. 当面評価される人とそうでない人がでる場合、丁寧な話合いでことの本質を理解し合うことを大切にします。

  4. 査定された場合、査定の基準や結果をただすとりくみを大切にします。それと同時に各人の賃金などを丁寧に資料収集します。

  5. 考課査定・不適格教員排除の問題をたんなる労働条件や賃金の問題ととらえることなく、教育破壊、学校破壊、組合破壊の攻撃であることを明らかにし、大胆に父母、地域に訴え、教育と学校を守る運動として展開することが必要です。

  6. 学校改革の取り組みを進め、教職員の団結を最優先します。

  7. 組織の拡大強化が考課査定・能力給の攻撃にたいする最大の反撃になります。

  8. 父母との共同、子どもの自主活動を大切にする学校づくりをすすめます。

  9. 全国私教連や各県はそのための資料づくりや闘いの交流、オルグなどその先頭に立って全国統一闘争として闘いましょう。
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